学びが広げる未来 卒業生の声

奈良大学通信教育部では、年齢やライフステージを問わず、
学びたい気持ちを応援しています。
歴史ある奈良の地で、自分のペースで学び、可能性を広げる。
そんな卒業生たちのリアルな声をご紹介します。

卒業生の声
歴史と学びを通じて、
奈良が私の第二の故郷になった
奈良大学通信教育部 文化財歴史学科 卒業
宮後さん(80代・神奈川県在住)

定年を迎えたとき、 新聞広告で見た奈良大学通信教育部が目に留まりました。 歴史を五感で感じながら学べる環境に惹かれ、 新しい挑戦を始めることを決意したのが、はじまりです。 通信制の学びは簡単ではありませんでしたが、 先生方の温かいサポートや、スクーリングでの実地学習が大きな支えになりました。 飛鳥の石舞台や法隆寺を訪れ、歴史を肌で感じる貴重な体験ができたのは本当に特別な時間でした。 奈良大学での学生同士の交流や、学びを通じた達成感を得た今、 奈良は私にとって『第二の故郷』となりました。
奈良大学通信教育部を選んだ理由

人生100年時代が私にとっても現実味を帯びてきた今日、60歳で定年を迎えて残り40年を如何に過ごすかという事は、人生に於ける大きなテーマでありました。
何かしないといけないという焦燥感にも駆られ、私は社会や世界への関心、物事に感動する感性を生き生きと持ち続けること、たゆまぬ知的営為こそが、人生100年を生きる「鍵」になる。そう感じ奈良大学通信教育部の門戸を叩きました。
数ある通信教育の大学から奈良大学を選んだ理由としては、歴史好き、奈良好きというのは当然のことですが、悠久の歴史の舞台・奈良と云う風土の中でこそ、歴史は学ばれるべきであると確信していました。机上で書籍を通して知識を習得することは、いつでもどこでもできます。しかし、歴史と云うものは、私たちの祖先が悠久の時の中でその生を積み上げてきた結果です。歴史の学びとはその祖先が生きた風土の中で、五感を使って全身で感得することこそが最も肝要なことと考えました。
歴史と文化財の奈良と云う地に立地している奈良大学であれば、選択した目的に応えてくれるはずであるとの確信と、加えて教育とは社会人学生にも広く門戸を開く義務があると唱導される奈良大学は、「生きた学問」の学びの場として相応しいと考えたことも入学を決めたきっかけです。
奈良大学で実際に学んでみて

実際に学んでみて、とにかく温かい大学です。何よりも学生に対する教授陣の姿勢が、本当に真剣で温かいです。まさに、「一人ひとりの学生と向き合うことが教育の原点」とする奈良大学の建学の精神を肌で感じる日々でした。このことは通信生のだれもが一様に言っていることです。
中でもスクーリング授業は楽しいのなんの、修学旅行のやり直しのようなものです。言わば「大人の修学旅行」です。修学旅行は先生の監視付きで不自由でしたが、大人になった今は自由自在です。私は通信生の仲間とスクーリングの前後に日程を取って、あちこち古都奈良をめぐっていました。
スクーリングこそ奈良大学通信教育部の白眉でしょう。授業の中には大学の用意した大型観光バスに乗って、奈良の風土の中での現地授業を行います。飛鳥の石舞台、奈良公園の散策をしながらの講義、平城
宮跡、奈良の何処の里山を巡ったのはとても贅沢な時間でした。想像してみてください。観光バスでわいわいおしゃべりしながら飛鳥を訪れ、石舞台古墳をまさに舞台としての考古学の授業です。なにものにも代えられないこの楽しさと高揚感、奈良大学以外どこの大学がこの学びの喜びを与えてくれるのでしょうか。
卒業後について

卒論を論理的、実証的にかなりのレベルで完遂したという自負から、あるグループの奈良・鎌倉の歴史の案内人を毎年続けています。一次史料に基づく解説を基本としながら、肌で感じ、全身で共感できるような案内を試みています。これはスクーリングの先生方の教えです。また、考古学を学んだことから、横浜市埋蔵文化センターの土器整理から歴史探訪のボランティア活動を行ってきました。さらに新たなお手伝いも行う予定です。
エネルギーは無尽蔵かなと思います。このエネルギーは「人生100年」を生きる鍵として選択した奈良大学通信教育部の学びのもたらしたものと考えます。即ち、通信制と云うものは、クラスもクラブ活動もなく、個人が直接大学と相対してレポート作成、科目修得試験、卒論を経て卒業をするという孤独な営為です。それだけに、自分ひとりの力で卒業を果たしたという喜び、その達成感には大きなものがあるのではないでしょうか。この達成感が、その後の人生の生き方に大きな自信と活力を生み出し続けているのと考えます。
そして、新しい交流の世界が拡大したということでしょう。卒業後の同窓会の活動が極めて活発で、様々な経歴・人生の仲間との交流は、定年リタイア後の歩き方に新しい世界を開きました。同窓会の仲間は700人を超えます。私は関東支部に所属していますが、講演会・研究発表会・歴史探訪等活動は年10回を超えます。奈良大学に行かなかったならば、現役時代の会社仲間とか限られた狭い世界で人生を終えていたのではないでしょうか。
第2に、その活動は歴史探訪が中心ですから、自ずと大空の下、大地を踏んでの野外活動で、それは身体のみならず心のサプリメントです。まさに「人生100年」を心身ともに可能にするものと思います。なにはともあれ、定年後必然的に老いも進んでいく人生で、新しい世界・新しい心のつながりを拡大していけることは、とても幸せなことだと思います。奈良大学通信教育部はそれを可能にしてくれました。新しい交流の世界が拡大したこと、奈良がかけがえのない故郷になったということは幸せであります。こういう出会いも財産であり、その縁を繋いでくれた事にも感謝しかありません。